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秋の夕焼け [家族の事]

一週間が過ぎて行く。毎日、父の介護をしながら過ごしている。決まったことを決まったように、手順を踏んで進めて行く。父が几帳面で、きちんとするのが好きだから。

でも、すべてのことは思い通りには行かないもの。体調やアクシデント。様々なことによって予定は変わり、手順は乱れる。デイサービスのお迎えの時間が迫っていても急げば父の心も穏やかではなくなる。

手順の通り行っても良し、いかなくても何とかなるものだ。上手くスムーズにいくことばかりが良いことではないのだと、この年にしてようやくわかって来た。

待つこと(無駄な時間と思える時を過ごすこと)

手を出さないところ(手順良くいかなくても意味を見いだすこと)

手伝わせてもらうところ(助けるのではなく共同作業)

介護者は私一人ではないと知ること(母の思いを知ること)


父の介護の生活が始まって、諦めなくてはならないこと等も増えて来たけれど、多分それはしてもしなくても良いこと、あるいはあってもなくても良いことなのだろう。


冬が来る。

寒い北海道で、秋に入ると両親と一緒に家族みんなで冬支度をした。窓にビニールを張り、それぞれの部屋のストーブの煙突を掃除し、裏の小屋にはストーブの燃料の糠を積み、薪を割り、薪を切り、薪を積む。手伝いにしか過ぎなかったけれど、長く長く続く冬のために、そうしてゆっくりと心を注いで準備をし、やがて音もなく訪れる冬を迎える。

冬は理不尽な寒さと大雪とともにやってくる。もうそれは、避けることも逃げることも出来ないのだ。


多分老いるということもそうなのかもしれない。

夜寝る前に静かに祈る父のそばに座りながら、やがて訪れる自らの老いを思わされた。



西の空の十字架2.JPG



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結婚記念日でした。 [家族の事]

11月3日は、私たちの結婚記念日。31年目。


昨年に引き続き新婚旅行先の六甲山に登った。

あまりに人が多いので、有馬へ・・・。

有馬の川.JPG
赤い蔦.JPG

行き当たりばったり感が拭えないけれど、とりあえず…。

でも、三連休の初日、秋の良い晴れの日。人も車も多いはずだよ。

行くところ行くところ人の山と車の渋滞。

仕方がないので、次は六甲山牧場へ。

懐かしい〜〜〜!子どもたちと良く来た。


六甲山牧場1.JPG


それでも、楽しく過ごした。


六甲山2.JPG
六甲山3.JPG


30年前、生まれたばかりのいっちを連れて、六甲山と有馬に行った。その時に、素敵なカフェを見つけて三人で入った。

今もあるかどうか、道を歩きながら「これじゃない?」と入ったら、ビンゴだった。カフェのママに聞いてみると、そこは36年前に出来たそう。中は確かに36年の年月を感じさせるけれど、コーヒーも景色も最高でした。何より懐かしい。いつかいっちを連れて来てみたいと思った。


30年前のカフェ.JPG


一旦父の排便の介助のため家に帰り、改めて夕食に出掛けた。

こういうところ、年月を感じるね。


ただただ多くの方々の支えととりなしと助けを覚える。

また、すべては神様の恵みとあわれみ。

感謝です。


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作品でっす(笑) [今日の事]

今日は月一回のご高齢の方々の交わり会「おさんぽの会」だった。

急に寒くなったせいか体調を崩した方もあり、出席者は多くはなかったけれど、相変わらず毎回あちこちで大爆笑の渦。


今日は、クリスマスの愛餐会の時に「おさんぽの会」で発表する紙芝居の塗り絵をした。絵や文字は苦手の方もあるけれど、反対にとっても好きな方もあり、まあ時々苦手なことをするのも良いかなと思って、毎年の恒例になっている。


今回は、二人一組になって一枚の絵を仕上げるシステム。これなら、完成しなくても良いから、お話に花が咲いても良いし、楽しく過ごせるかな?と思って…。

 

それぞれ自己紹介をして(初参加の方がおられたので)お口の体操をして(北原白秋「五十音」を読む)二人で組んでもらって、10枚の絵の中から好きなものを選んでもらって書き始める…いや、塗り始める。


いやーーーーーーーーー

個性溢れる作品ばかり。

素晴らしい!


初めに「はみ出しても良いし、好きな色を塗って下さい。きちんとしなくても大丈夫、楽しんで塗って下さい。」とご案内。でも、もう人の話なんか聞いちゃいない。皆さんとても真面目で、きちんと塗らなくてはと思って初めはとても緊張気味。そのうち、お話が楽しく進み、あちこちでいい雰囲気だった。


お食事の時間になると、丸テーブルを囲んでスタッフの心づくしの御馳走が並び、あちこちで歓声が上がる。楽しかったーーー。いつも、食事の時に大笑いが起きる。一人で住んでおられる方もおられるので、一ヶ月に一回でも大人数でわいわいと食べる食事はやっぱりおいしいと言われる。

良かった。



作品でっす(笑)


まだ未完成。これから仕上げます。


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今出来ることは一つ [今日の事]

秋の大きな集まりを無事に終えて、少しぼーっとしてる……間もなく、その反省会やフォロー委員会や、報告をまとめたり等の後処理に苦心している。かつて安心しちゃってぼーっとして、次年度を迎える時に大苦戦したことがある。


まあ、何でも十分に反省し、次のために準備しておくことは大切なこと。

教訓を教訓として生かさなくちゃね。


それでも、この頃は「てーげーてーげー」になって来て、きちんとすることばかりが良いことではないのだと、ようやくにして悟るようになった。


少しの余裕があることが、次の時に自由な選択や工夫を生むってこともある。一人でしていることではなく、チームでしているということも大切にしなくてはならないこと。神様がして下さるという原理原則を損なわないこと。


あれもこれも同時進行が山盛りの中で「良くやってるよ」と独り言。

山盛り仕事の自転車操業状態は仕方ないとしても(だってねえ、それだけじゃなくて家事もあるし、家族の世話もあるし、突発的出来事もあるしねえ)「焦らず慌てず諦めず」が家訓の家に嫁いで来たのだから……嫁いで??死語??いやいや。だからね。だからよ。


身体は一つ、心を込めて今出来ることも一つ。

一つひとつ・・・だね。


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私は枝

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2017-09-30

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夏休み?? [その他いろいろ]

私の今年の夏はいつになく予定が詰まっていた。


 夫はさらに忙しく、やっておかなくてはならないことが山積みだった。いつも八月は教会の様々な集まりをお休みにしている(暑いのと、メンバーの皆さんも様々な夏の予定があり、また聖会や集まりもある)のだが、もはや何がなんだかわからないうちに夏はやって来て、そして過ぎて行った。


 身体もだが、精神的な慢性の疲れはそうやすやすとは癒されない。それでも、身体の疲れとは違って、疲れれば疲れるほど鈍くなって疲れているとは感じなくなってくる。麻痺して来るのかな。怖いなあ。


 朝起きて夫婦でお互いに「おはよう」と挨拶した後、毎日「大丈夫?」と聞き合う(笑)大丈夫なわけないんだけど「大丈夫」と答え合うのが習慣になる。


これはまずいというわけで、少し無理をして八月の末に休みを取った。

 

 最寄り駅から片道40分交通費1000円弱の近場の、外国人の方々仕様の安いお宿で三泊四日。


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 ところが、夫も私も宿題(!笑!)を終わらせていない。ということで、休みをとったはずなのに、休暇先でそれぞれ仕事をすることとなってしまった。やれやれ。


 でも、途中で夫のパソコンがストライキを起こして動かなくなり、私も親しい方の奥様の訃報があり、ご葬儀に出席することとなった。その奥様のご希望で、葬儀に出席されるにあたり喪服はご遠慮くださいとのことだった。それで、休暇先からそのまま出席することが出来た。


 ふさわしい言葉かどうかわからないけれど・・・素晴らしいご葬儀だった。感動で胸が熱くなり、悲しみ痛みとともに、その生と死に圧倒されて涙が止まらなかった。私もそのように生きたい。そのように死を迎えたい。そう強く思わされた。


サクラテラスギャラリー2.JPG
 九月に入り、うちの三人の子どもたちの誕生日があった。子どもと言ったってもう成人して何年経つ?ケーキやプレゼントでもないので、三人まとめて食事会で誕生会!ということで、みんな大好きなお馴染みのイタリアンレストランへ。五人で手を繋いで食前の感謝の祈りを捧げ、わいわいわいわいと(賑やか?うるさい?)楽しいときを持った。何でも分け合って食べると美味しい。
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こうして夏は過ぎて行くのだろう。

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こんなんです。 [その他いろいろ]

八月に入り、忙しかったり雨が降ったり、出掛けて長期留守にしたりでベランダのプランターに水やりをちゃんと出来ないままだ。

でも!!

ローズマリーもスイートバジルも元気。ゴーヤも元気だけれど、今年は余り収穫がない。花は咲くのになあ。まあ、日陰を作ってくれるので良しとしよう。

毎年、葉が枯れてこれは駄目だなと思うのに、春が来ると芽が出て葉が伸びて花が咲く不思議な鉢植えがある。白い花が咲く。嬉しいな。

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先週長野県の高遠に集まりがあって出掛けた。
キャンプ場のロッジに泊まった。
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久しぶりのキャンプ場で、涼しくて、夜になると虫の音が響いて過ごしやすかった。集まりはとても素晴らしかった。その後、杏の里、上田の教会を訪問させていただいた…というか、夫の訪問に付いて行った。
杏の里で、礼拝堂に思いがけず私の父が書いた書が架けてあって感動。引退し引っ越しして米沢から関西に来る前に書いたものらしい。
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父は認知症が進んで、もう筆を持つことは出来ない。

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胸が痛い [家族の事]

愛されていると実感するのは、どんな時なんだろう。

私の母は、祖母にわがままを言っていた時に祖父に平手打ちをされて、愛されていることを実感したという。


「父さんは、みっちゃん(母)が可愛いんだなぁ。」


ふ〜〜ん。

私は・・・え〜〜と・・・う〜〜ん。


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今年に入って、父の書斎を片付けていた時のこと。
認知症を発病し、それが色濃く出て来る頃に父が書いた「詩」が、聖書の中に挟まっているのを見つけた。
私が幼児だった時に、面白い芸をしてみんなを笑わせているという詩だ。そこには、父の私への愛が溢れている。最初の子を流産して、お医者さんにもう子どもは無理かもしれないと言われた後に生まれた長女の私を、本当に喜び愛する父の言葉が溢れていた。
それを書いたのが、若い頃の父ではなく、年老いて認知症が進んで行くことを恐れながら、なんとか文章を書こうとして頑張っている頃に書いた物であることが余計に嬉しい。
そして、限りなく胸が痛い・・・。

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美味しいね [家族の事]

父の筋力がとても落ちて来て、ベッドから起き上がることが難しくなって来ている。最も病気(レビー小体型認知症)のせいで波があり、割合にスムーズに起き上がる時もあって予想は出来ない。


どちらにしろ筋力が弱くなっていることは事実。自宅の玄関で靴を履いて、一階の駐車場までお迎えに来てくださるデイサービスの車に乗るのが大変であったりする。


そこで、居間の椅子から車椅子に移り、そのまま駐車場まで行くことにする。足も腰も痛むらしく、そのせいでもあるかもしれない。


今朝も、目が覚めてベッドの端に腰掛けるまではするのだが、立って居間に行くのは気が進まない様子。食事も「食べたくない、食べなくても良い。」薬も「飲まなくても良い。」着替えも何もかも「しなくても良い。」そういって横になろうとする。


いつもなら「心臓と喘息の発作が起きると困るから、薬を飲もう。」と促すと渋々でも起き上がるのだが、今日はそうはいかなかった。汗でパジャマが濡れていて、シーツも湿っているので、もう一度そこに寝るというのは避けたかったが、それでも心のどこかで「どうしても起きたくない。寝たいと言うなら仕方がないかなあ。」と思った。


そこでいつものテクニックで看護師さんのふりをした。

「さあ、ベッドを気持ち良く直しますね。ちょっと立っていただけますか?すみませんね〜。その間にシーツも取り替えて気持ちよ〜くして、それからまた寝ましょうか。大丈夫ですよ〜。」

すると、父は黙って立ち上がり(手すりや柱のお世話になりつつ)居間に向かってよろよろとあちこちにつかまりながらゆっくり歩き出した。


どこまでわかっているのかわからない。もしかしたら、全部わかっているのかもしれない。わかっていないかもしれない。それでも、どんな言葉や正統な理屈よりも、優しい感情や明るい表情や丁寧なスキンシップや、父を尊重する心配りや心遣いが父を動かすのは確かなのだ。


いつものように、私は父の乾布摩擦をし着替えさせ、母の用意したグリーンスムージーを飲んでもらい、ヨーグルトと甘酒と黒豆の煮たのを混ぜて食べ、朝食をとって薬を飲んでもらった。


介護していると、いろいろな言葉や身振りに振回されてしまうこともある。それでも、今日で終わりではなく、明日も明後日も、それから先も、ずっと続くことなのだ。いつかのその日を迎える時まで………。

いつも、愉快にたのしく過ごしてもらいたいと思っても、こちらの思うようには行かない。行かなくて当たり前なのだ。それでも良いのだ。


食事をしながら「美味しいね〜。」と言うと、父は改めて私の顔を眺めて「美味しいねー。」と言う。それで充分。


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なのだ。

今週はメッセージにあたっているので、ずっとパソコンといっしょに過ごしているのだ。そういうわけで、ブログも頻繁にアップしているというわけなのだ。そうでなかったら、この頃は、パソコンの存在も忘れて過ごしてしまっている、のだ。


調べ物をするのも、連絡をするのも(mailだけど)すべて携帯で済んでしまうからなのだ。良いとは思わないけれどとっても便利なのだ。


おかげで、肩と首がばりばりに堅くなってしまったのだ。(パソコンに付きっきりのせいじゃなくて携帯をし過ぎで・・・)先日は、筋腫で子宮の全摘出手術をしてから久しくなかった酷い頭痛に悩まされて、メッセージ準備に使うべき貴重な一日をただ横になってうだうだと過ごしてしまったりしたのだ。しかも頭痛のせいで、飲んだばかりの水をマーライオンみたいに………なのだ。


昔はそんな一日を悔やんで、自己嫌悪に陥り、ただでも具合悪いのに、心も具合悪くなってもう底なし穴に落ち込むみたいに真っ暗でぐちゃぐちゃで仕舞いには涙まで出て来るのだ。でも今はちがう、のだ。


休む時はエンジン停止、なのだ。

頑張れる時に頑張るのだ。

頑張っていても、休んでいてもイエス様はいっしょなのだ。


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言葉。 [今日の事]

言葉を重ねても重ねても、虚しいだけの時がある。

なんだかかえってうさんくさくなったり。

一生懸命話しても、伝わらない時もある。

初めから心が閉じているんだね。


私たちの耳は心にあるんだね。


だから拙い言葉でもちゃんと聞こえる。

よくわかる。


お上手な言葉でも通り過ぎて行く。

わからない。


もうね。言葉なんかなくてもいいやって思う時もあるよ。



でもね、言わないとわからない時もあるんだよね。

言わなくてもわかってもらえるのはもう奇跡だね。

奇跡だけど、確かにあるね。


私たちの心ってすごい。



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心弱るとき [その他いろいろ]

心が弱っている時に

不思議に優しいお手紙が来たり

思いやってくださるお電話があったり

贈り物が届いたりする。


抗がん剤の治療が始まった友人に

いったい何ができるだろうと思い悩む

何を考えてもふさわしくない


そういう時こそ

みことばだなあと思う


みことばのカレンダーを作ってみた

今回はすべてイエス様のみことばから


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私たちの心が弱るとき

心が弱ることに嘆くことはない

心弱る時にしかわからない慰めがある

心弱るときだからこそ現される愛がある

心弱ることを知っていてくださる方がおられる


心が弱っても大丈夫

そんな時を過ごす辛さも苦しさも

ひととき一時が無駄ではないことを知っている


より豊かな深い心へと

導かれる時なのだ。


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夏が始まってるよ [想い出いろいろ]

毎日暑い。湿度も高くて気力も体力も低下する。


でも、夏はいろんなことが進んで行く。活動の季節。いろんなことをしてみよう。いろんなところに行ってみようと、気持ちだけは前向きにわくわくする。


北海道の夏は寒くて、長袖は欠かせないし、朝方や夜は寒い位の時があった。今は、気候も変わり、信じられないほど気温が高いとニュースで知る。


留辺蘂の家の前は、どこまでも田んぼだったから、夜通しかえるの合唱だった。遠くで夜汽車(今北海道はディーゼルだけど、私の子どもの頃はまだ蒸気機関車がほとんどだった)の汽笛が聞こえる。また、貨物車が長い長いガタゴトガタゴトという音を響かせて通って行った。夜だから余計に遠くまでその響きが聞こえる。それらの音が子守唄だった。


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空は青く遠く高い。雲は大雪山からゆっくりと流れてくる。夕焼けは美しく、いつまでも夜は来なかった。窓辺で夕食のトウモロコシを食べながら、家族でいつまでも空を見ていた。


ほら、昔のことは美化されるけど、もう本当に遠い遠い昔のことだから良いのだ。きっと思い出を共有する人たちも同じことを言うに決まっているのだ(笑)


さあ、夏が始まる。

あれ?始まっている?


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昔の話 [想い出いろいろ]

高校時代を過ごした家は、父が舎監を務めていた神学校の「本館」と呼ばれる戦前から立つ建物であった。一階に事務室と応接室と、神学生の作業場や物置等やトイレ(いや、昔ながらのボットンだからトイレじゃなくてお便所かな)や使えなくなった焚き付け式のお風呂場や、父の書斎があり、二階の8畳三間に家族6人で住んでいた。

もちろん台所もお風呂もないので、食事は神学生といっしょに食堂で頂く。朝は7時、昼は12時、夕食は5時だった。お風呂は、敷地内の浴場に行く。お風呂の日は決まっていて、たしか月曜と金曜だった。


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神学校の林の中の道


私が中学三年だった十月に引っ越しが決まったので、それまでは昼間は働き、夜間高校に行く予定で準備していたのだけれど、急遽普通高校に進めることになり、慌てて受験勉強をし直したことを思い出す。家賃や光熱費、食費の支払いがなくなったのだから、舎監として給与がいくら低くても、私が普通高校に行くことになっても家族6人なんとか生きて行けたのだろう。


中学も高校も電車で隣町まで通った。

私は年子の三人姉妹の長女で、その下に12離れた妹がおり、女ばかり四人の子どもたちはさぞかしかしましく賑やかだったろうと思う。


それでも、朝は5時から夜は9時まで、神学生とともに祈り会や作業に出て行く両親を見ながら、人の出入りの多い建物の二階に住んで、当時三歳の妹はもとより、私たち姉妹もそこはかとない不安や寂しさがなかったかというと嘘になる。


それは誰のせいでもない。

もちろん父や母のせいでは決してない。


あの頃の毎日心の中に往来する行き場のない思いや不安や寂しさを、青年時代の私は、それなりに大切に愛おしく受け入れていたと思う。


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土砂降りの日に、傘をささず、制服(高校はセーラー服だった)のままで歩いて帰ってくる。ようやく家に着き、スカートのひだが無くなってしぼるほど濡れた制服のままで玄関に入ると、神学生や事務の先生の驚きの声を聞きながら、私は爽快で愉快で楽しくて仕方なかった。


あの日々に勝る無邪気なやけっぱちを、私はその後一度も経験したことはない。

…経験しなくっても良いんだけどさ。



こんな梅雨の雨降りの日には、あの時の不思議な心持ちを懐かしく愛おしく、そして、少しの涙を持って思い出す。



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思い出の本館下の野外便所

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静まること [家族の事]

父の薬が増えて、一錠半から二錠になった。

レビー小体型認知症の診断を受けて、二年半。

幸い幻視の大きな影響もなく、ただ更に筋肉の萎縮が見られる。


山歩きが好きで、山野草が好きで

写真を撮っては額にいれ

部屋中に飾り、またブログにアップしていた父が

歩くことに困難を覚え、足腰の痛みを訴え

家の中を歩くことさえ難しくなって行く。


先日車椅子での散歩の途中

公園に咲いていた可愛い山吹の花を一輪とって

父に渡すと「ああ、かわいいねえ。」と言って

家に持ち帰った。


数日前から、ベッドに起き上がって足を下ろし

座ったままで黙って静かにしている姿を見るようになった。


母が心配して

「お父さん、トイレなの?腰が痛いの?」

声をかける。


すると父は

「祈っているの。」

とか、またある時は

「神様に呼ばれたんだ。」

と答えるという。


今までになかったことだった。


昨日はお風呂に入ってもらう日で

その前に私が散歩に誘うと

「行かなくても良い。」と言って

立とうとしない。

無理強いしてもなあ・・・と思って

そのまま見ていると、

起き上がってベッドの端に座る。


トイレに行くのかと思っていたが一向に立ち上がろうとしない。

しばらく見ていたが、そのままの姿勢でいる。


私は、黙って父と並んで隣りに座った。


そうして、黙って父の隣りに静かに座っていると

なんだか胸が熱くなり

涙が静かに流れて止まらなくなった。


お父さん。


神様はなんて優しいのでしょう。

神様はどれほどお父さんを愛しておられるのでしょう。

この静まりの時に、満ちあふれている神様の愛と恵みに

言葉はいらない。


毎日父の介護をしながら

介護をしている私の方が

大きな慰めと癒しと、霊の介護を頂いている。


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年老いて、認知症になり

何もできなくなったと人は言うかもしれない。


でも、本当は

何もできなくなった時ほど

その人の価値が表れるのだろう。

その人の真実が現れるのだろう。


何もできなくなった時ほど

神様の愛が表れるのだろう。

神様の御恵み深さが現されるのだろう。


そう思ったよ。


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失敗すること [想い出いろいろ]

「ちゃんとしなさい。」「きちんとしなさい。」が

私の成長過程での鉄板のルールだったので

私はいつも不安で一杯で、失敗することをそれはそれは恐れていた。

少しおとなになってくると

学校でも生活でもきちんとできない自分にイライラし

きちんとできない他人にイライラしていた。

自分が失敗することを恐れ、他人が失敗することを許せず

全く鼻持ちならない人間だったと

顧みてつくづく情けなく、また可哀想な自分に

心が痛む。


さて、子どもを育ててみて思うこと。

小さな失敗をたくさん経験することの大切さを教え

失敗が失敗に終わらないで、成長に繋がる素晴らしさを示す。


失敗することを責めることなく

許して励まして、前に進むことを促すこと。


今になってもなお、人はそうして成長して行くのだと思う。


神様は、私が失敗しやすく間違えやすいことをよく知っておられる。

でも、そういう私であることに、神様は失望されない。

失敗を重ねても、間違ったことをしても

それを赦して励まして、前に進むことを導いてくださる。


今になってもなお、私はそうして成熟して行くのだと思う。


駄目な自分を受け入れることは

それでも愛してくださる神様を信じることなのだなあ。


失敗しても恐れないで前に進むことは

赦してあきらめない神様に信頼することなのだなあ。



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同じ花だけど。 [その他いろいろ]

梅雨に入ったのに、今日もよい天気。


良い天気は嬉しいけれど、ベランダの野菜たちに毎朝水をやるのが大変ではある。大きな大きなジョーロに一杯水を入れて、何度も何度も運ぶ。水道から直接ホースで水やりができたら良いのになあ。でも、そうやって一生懸命水を運んでいると、大切なことをしているという気持ちになる。


それにしても、うちのベランダには花がない。

いや、ローズマリーやスイートバジルの花は咲くけど。

ああ、そういえば、ゴーヤの花も咲いたけど。

ん?ブロッコリーもつぼみがついたけど。


観賞用の花もあったら良いなあ。


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今日の静まり [今日の事]

神様が見ておられるように自分を見ることが、どんなに難しいことか。



自分で見ている自分は、まったく鼻持ちならない存在だ。


失敗ばかりで、何をやっても中途半端。

怠け者で、意地悪で、誘惑に弱く、意志も弱い。

知識はもっているが底が浅いから役には立たない。

不器用でその場しのぎの働きばかり。

許すこと愛することに乏しいので、うわべだけの自分の姿に悲しみがつのる。

考えなしに始めては、終わりまで続けることができない。

あ、それが中途半端と言うこと。

こうして年をとって行くのかと思うと、ひたすら回りの人々に申し訳ない限りだ。


そして、落ち込んだり、沈んだりすることさえ高慢や自信過剰から来ているのだと思えば、ありのままの自分を改めて見つめてはため息が出るばかり。


細々したことで日を重ね時を重ねて

やがて最後の時に私は何を思うんだろう。



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神様の愛を知らなかったら、生きては行けない。

神様が私をどう見ていてくださっているのか

お声を聞くことはできないけれども

今お聞きすることはできないけれども

み言葉は生きていて力がある。


「しかし、主は

『わたしの恵みは、あなたに十分である。

 と言うのは、わたしの力は

 弱さのうちに完全に現れるからである。』

 と言われたのです。

 ですから、私は、

 キリストの力が私をおおうために

 むしろ大いに喜んで

 私の弱さを誇りましょう。」

 第二コリント12:9


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初夏 [今日の事]

桜が終わり

ツツジが終わり

さつきが花盛り・・・と思ったら

あっという間に紫陽花の季節


うちのベランダのサラダ菜も

こんもりと山になり

にがうりは長い蔓を伸ばして

小さな花をつけ始めた


いつまでたっても

りっぱな葉を茂らせるだけだったブロッコリー

ようやく株の奥に

小さな蕾ができて来た




毎日することは山積みで

しかも一つ一つがとても小さなこと

いや

小さなことだけれど

大切なこと


からだと心に

小さな疲れが積み上がって行く



でも、昨日、教区の集まりの中で

「受ける資格のない私への真実の赦し」を得ているということの

測り知れない恵みを改めて感謝


喜びの小さな涙を流すことで

からだと心がほぐれて行く


そういうことの繰り返し


頭の中にはいつも

20以上の(数えてみた)考え事が渦巻いて

あれもこれもと

優先順位や困難さや重さを量りながら

(みんなそうなんだよね)

一日を過ごす


買い物帰りの空と雲

見上げる遠くの山


時折吹きすぎる風の中の懐かしい匂い

ツバメのひなの黄色いくちばし


そんなものに慰められている


夏の牧場.jpg



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おさんぽの会 [仕事の事]

昨日のおさんぽの会では、素敵なコットンパステル画を教えていただいた。

私はお手伝いだったので、描くことはできなかったです。

でも、皆さんとても楽しそうにされていたので、見ている私も嬉しかったです。

絵の苦手な方もおられたと思うけど、出来映えは素晴らしかった!


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おさんぽパステル画2.JPG

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転会者のインタビュー [家族の事]

今年のイヤーブックに、私たちの教会に転会した両親のインタビューが掲載される。

まあ、インタビューしたのは私だけど・・・。


というわけで、ちょこっと先にここに掲載。


      

 転入会者インタビュー  父、母

1)お二人はどんな子どもでしたか?

父:五人兄弟の次男で、兄、姉、自分、弟、妹と丁度真ん中であった。小さい頃は、友達と山や川に行き魚を捕ったりして遊んでいた。家が果樹園だったので、果物の収穫や見張り番等の手伝いをした。おとなしくて本を読むのが好きであった。長距離スキーの選手でもあった。

母:四人兄弟の長女で、弟、妹、年の離れた弟がいた。父の転任に伴い、釧路、帯広、浜頓別、留辺蘂と北海道を転々とした。どこに行っても友達ができ、誰とでもよく遊んだ。素直で明るくて人が大好きで、世界中の人は味方だと思っていた(笑)

2)救いの証しを短く

父:高校一年のとき幼なじみに誘われて初めて教会に行く。教会に行き始めて二ヶ月後にもたれた聖会で、マタイ5章8節「幸いなるかな。心のきよき者。その人は神を見ん。」のみことばで、自分の罪に気づき、悔い改めの祈りをして救い主を信じた。

母:学校の教員をしていた時に、病気で入院していた枕元に、母が聖書を差し入れしてくれた。初めて聖書を読んだ時に、教員をしながらも自分の中にある偽善に気づき、夏期聖会がもたれた時に、黙示録2:10「汝死に至るまで忠実なれ。」のみことばにより、罪の悔い改めをして救いの恵みに与った。

3)ニューコミュニティの印象は?

父、母:初めは、大きくて都会的な教会で、田舎育ちの自分たちは馴れるまでは大変だったが、ベタベタした交わりではないのに、みな優しくて暖かくて、今では居心地が良いと感じる。礼拝に出席している方々が、食い入るようにしてメッセージを聞いている姿が印象的である。アパルームがあるから素晴らしいのだと思う。

4)好きなみことば、与えられたみことば その理由

父:マタイ5:8、3:17、第二コリント5:17(救いのみ言葉)

詩篇のみことば 牧師となって詩篇のみことばに励まされ支えられた。

母:黙示録2:10(救いのみ言葉)毎年、年頭に与えられるみことばを一年の間自分の標語として日々励まされています。

5)クリスチャンの後輩に一言

父、母:「神を知るを喜ぶこと燔祭に勝れり。」ホセア6:6  イエス様をもっともっと深く知ることを求め、喜びとしましょう。イエス様は私たちが思うよりもっと深く、私たちを愛してくださいます。

 

 

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新しい春 [その他いろいろ]

春になったので、ベランダのプランターに、スイートバジルとブロッコリーとゴーヤの苗を植え、色とりどりレタスの種を蒔いた。


暖かな晴れの日がしばらく続くと、冬の間は心配もしなかった水やりをしなくてはならない。やり過ぎてもならない(プランターだから)


去年枯れてしまった(虫にやられた!)小さな可愛いすみれの群生の、小さな種が落ちたのだろう。隣りの鉢に育ったすみれの一株を、新しい鉢に移す。


もう十年も前に、息子の中学の保護者会の企画で植えた寄せ植えの鉢も、新しく植え直そうと思う。


あんなに疲れて虚しさを覚えて辛かった冬と春の初めの季節を過ぎ、ようやく新しく明るい春の陽射しに心が励まされている。


元気な時も疲れている時も、神様が造られた小さな自然のいのちに慰められるんだな。


レタス若葉.JPG
マーガレットムーンライトが爆発!
マーガレットムーンライト1.jpeg

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十字架のもとで [想い出いろいろ]

受難週に入った。

レントの間もそうであったが、イースターを待ち望みつつも、改めて主の十字架を思い巡らしている。教会では、4月に入りイースターの黙想分級を持っている。

その静かな黙想の中で、十字架の前に立つ自分を思った。

私は「ありがとうございます。」はもちろん「ごめんなさい。」も何も言えない。
祈りの言葉さえも持ち合わせない自分を責め続けているだろう。
ただあわあわと動揺し、恐れ、戸惑い、苦しみと自己嫌悪と罪悪感でいても立ってもいられずにくずおれているだろうと思う。

あるいは、私は、恐れて逃げ出した弟子たちと一緒だったろうし、あざ笑う群集の中にいただろうし、見物人として口を開けて見ている物見高い人々と一緒だったろう。なにより釘を打ちつけるローマ兵であった。



十字架の絵.jpg




2017春シオン通り.jpg


坂を下り、湿地帯を見ながらやがて坂は登りになって行く。
その道筋を歩きながら、幾度私はイエス様をただ仰ぎ望み、自分を悔やみ、憐れみを求めただろう。そのすべての思いがこの道に満ちている。受難週を迎えて、改めて初めの思いを辿っている。



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一度に一歩 [その他いろいろ]

歩いて歩いて。
毎日一万歩歩き通した。
膝や股関節が痛くなるかと思ったけれど、そんなこともなく、のんびりと歩きに歩いた。

思い返すと、私たちは出会った時から、いっしょに時を過ごす時はいつも長い時間をかけて歩き続けていた。歩いて歩いて、どこまでも歩いて、足が痛くなると喫茶店でお茶を飲んで、そしてまた歩いた。

特に目的も立てず、計画も持たず、その時々に気持ちが向くままに歩く。
彼は私の思いを尊重して、私は彼のリードを待って。

そんな風にして30年も過ごして来たんだなあ。

軽井沢の道.JPG


つくづくそう思った休日だったね。

ありがとう。
ありがとうございました。
感謝です。




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もう春だけど。

季節はもう春だけど、まだまだ寒いし雪が降っているところだってある。

昔米沢に住んでいた頃に、ゴールデンウィーク中に雪が(まあ正確にはみぞれだけど)降って、上杉祭りの行列が大変だったことがあったなあ。

私は花粉症が始まって「春だなあ。」と思うけど、やっぱり肌寒い日が続くと、あったかいストーブが恋しくなる。今の家はエアコンのみ。

あったかい北国の家が懐かしいなあ。

レストランのストーブ.JPG



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まだ若い? [その他いろいろ]

人生はあっという間に過ぎていく。

この年になって、つくづく思うようになった。

私より年配の方々は「まだまだ。」と言われるだろう。
死ぬまで、年上の方々には「まだ若い。」と言われ続けるのだろう。
ご自分と比べてと言うことなのだろうが、当たり前である。

そういう声を聞くたびに、年を感じていると言う思いを共有できないことと、年だなあと感じる自分の思いを否定されることに胸を痛めながら、それでも私の人生での50代最後の年は過ぎていく。

誰かと比べて若かろうと年をとっていようと私の人生には関係ない。

人の名前や大事なことや、物事を忘れたり、身体のあちこちが痛かったり、大事に(笑)抱えて進んでいく病いのことや、頭がなかなか働かないことや、楽しかったことを楽しいと思えなくなっていること。孤独感に苛まれたり、逆に人といることが鬱陶しくなったり・・・わがままか・・・。

新しいことに臆病になったり面倒になったり、行く末を限りなく心配したり、不安になったり、なにより、これまでの人生の歩みを振り返って、良かったと思えない暗い思いに悩む夜は、やり直しの出来ない人生の無情の流れに涙があふれたり。

だからといって明日の朝を迎えないわけにはいかない。
明日の朝はそれでもやってくる。

いや、寝付く前に明日の朝を迎えることが出来るだろうかと思うことが多くなったり。

そういうことが、この年齢を改めて受け止めていく作業なのだな。


白い丘.jpg




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今日のこと? [今日の事]

何度か書き込んだが、やっぱりやめて消してしまったのが数回。

「私に答えて下さい。主よ。私に答えて下さい。」第一列王記18:37

毎日の忙しさを、慌ただしさを、戸惑いや悩みや、
過ぎ去って行く思いの数々を、たくさんの感謝を、
どこにでもいる当たり前の普通のたった一人の、独り言を
わざわざここに書く必要が?

そう思い始めたら、もう書けないね。


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